宝石の街 Edelstein

月光華亭15周年/柘榴石亭5周年記念企画

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軟玉の従者と琥珀の貴婦人

 今のフレデリカより、先のフレデリカへ。
 ルーンフォークたる我が身、いつか不慮の事態で命を落とし。記憶を失って現世に舞い戻ることもあり得るかもしれません。
 その時のため、今の私が思うところを、書き綴っておこうと思います。
 
 お嬢様にお仕えして、はや三年となりましょうか。当時のことは、貴方も忘れはしないでしょう。
 甚だ僭越なことですが、貴方や私は、当時のお嬢様とよく似た容姿を生まれ持っておりますね。かつて私がご奉公先を探しておりました折、お嬢様の伯父ぎみがこの姿に目を留められ、お嬢様と引き合せてくださったのでした。
 初めてお嬢様の姿を目にしたそのとき、貴方や私はこの偶然を定めと思い、お嬢様にお仕えすることを望みました。お嬢様もまた、私の忠誠を受け入れて下さった。それから三年、今も私はお嬢様のお側にお仕えさせていただいております。
 お仕えし始めた当時、お嬢様と私は入れ替わって遊べるほどによく似ていましたが、今やお嬢様は更に美しく成長なさり、ルーンフォークたる私は変わらぬまま。それでも、あの頃の姿を留め置くことが、お嬢様にとって何らかの意味を持つことをあるだろうと思い、今も私はこの姿を、自らの誇りと思っております。
 ……ええ、私が今もときに女性の装いをすることがあるのは、そのような理由からなのです。お忘れなきよう。
 
 お嬢様は玉のように美しく、また繊細な方でいらっしゃいます。
 お嬢様は、お家再興のため危険な旅に出ていらっしゃる、兄ぎみのフレデリック様のことを、心から愛し、涙を流さぬ日はないほどに心配しておられます。……多少、度が過ぎているのではと思えるほどに。
 随分と前のことですが、お嬢様が兄ぎみに私を贈ろうとしたこともありましたね。お嬢様の代わりに、兄ぎみの側にいるようにと。
 フレデリック様は妹ぎみを溺愛しておられますが、お嬢様に比べればいくらかは冷静であられるので、これは受け入れかねたらしく、私は結局、そのままお嬢様にお仕えしておりますが。
 けれど、それ以降も、私がフレデリック様を訪ねることはよくあります。お嬢様と兄ぎみとの間の、手紙や贈り物のやりとりは、私を介して行うようになりましたので。
 冒険者であられるフレデリック様は、遠くまで旅をしておられることも多いのですが、拠点となる街は決まっているので、たいていはそちらに伺っております。
 ですから私は、何度もこの街を訪れているのです。
 その名の通り、宝石のように美しい街、エーデルシュタイン。
 フレデリック様がこちらの街を拠点と定められたのも、この美しさと、宝石の名ゆえかもしれません。何しろフレデリック様は、”守りの翡翠”と呼ばれる方なのですから。
 騎士位を得られてからは、”翡翠の騎士”と呼ばれることも多くなったそうです。それまでにフレデリック様の経験された苦労に思いを馳せますと、お嬢様にとっても、また私にとっても、感慨深く、また誇らしく思わずにはいられない二つ名です。
 爵位とはいかぬまでも、騎士の位を得られたことで、お二人の立場も公式に保証されるものとなりました。エレノアお嬢様は、長らくお世話になっておられた伯父ぎみの館をお出になり、かつてのジェード男爵家の屋敷に戻っておられます。屋敷そのものは、いまも伯父ぎみのベリル伯が所有していらっしゃいますが、伯のご厚意により、館の一部はフレデリック様とお嬢様のものとなり、私もまた、普段はそちらでお嬢様にお仕えしております。
 伯爵家の使用人がいるとはいえ、ジェード家の方々でお屋敷におられるのはお嬢様だけとなってしまわれたので、こうして離れている間、お嬢様が変わりなくいらっしゃるかどうか、心配で仕方がありません。便りを運ぶ仕事こそ、お嬢様が私だけに託された重大な役目であるとは承知しているのですが。せめて母ぎみがおいでになれば、と思わずにはいられません。
 行方のわからなくなっていたお二人の父ぎみ、元ジェード男爵ウィルフレッド様が、母ぎみのアマーリア様を連れ出し、置き手紙を残して姿を消されたとき、フレデリック様はたいそう呆れておいででしたが、お嬢様には予感のようなものがあったのでしょうか。あまり驚かれることはなかったようです。
 とはいえ、やはり寂しく思っておいででしょう。私の働きが、いくらかでもお嬢様の慰めになっていることを願うばかりです。
 
 
 思うままに書き綴ってしまいましたが、おそらく、このようなことは、貴方も憶えていることでしょう。
 私が貴方にこのような手紙を書き置いているのは、どうしても、貴方だけに伝えておきたいことがあるからなのです。
 
 エーデルシュタインに訪れるとき、私はまず柘榴石亭を訪ねます。フレデリック様が不在のときは、女将さんに手紙を預けて帰りますが、いらっしゃるときはご返事をいただけるまで待機します。
 たいていは一日も待ちませんが、旅の疲れもあるので宿を取るようにしております。そのまま柘榴石亭のお世話になってもよいのでしょうが、私は冒険者ではありませんし、ジェード家の家計に余裕があるとは言えない以上、できるだけ節約したいものですから、藁地区まで行って安宿を借りることが多いですね。
 柘榴石亭のある銅地区は、城のある白金地区、ザイア神殿などのある銀地区などに比べれば、庶民の街であると言えますが、それでも城壁の内部。藁地区は城壁の外にあり、場所によっては治安の悪いところもあります。お嬢様やフレデリック様に知られれば、ご心配をおかけするかもしれませんが、私も心得がないわけではありません。ある程度の危険は退けられるものと自負しております。
 そういったわけで、今日も私は馴染みの安宿に泊まろうと、エーデルシュタインの城壁を出て、藁地区を歩いていたのです。
 
 
「エレ……フレデリカ!」
 呼びかけられて、心臓機関部が飛び出るかと思うほど驚きました。
 それは、ここで聞くはずもない声だったのです。
「は……母ぎみ様!?」
 振り向いた先にいたのは、確かに、エレノアお嬢様とフレデリック様の母ぎみ。行方知れずになっていた、アマーリア様でした。
「ああ、やっぱりフレデリカ。そうですね、今のエレノアはもっと大きいですから」
 私が駆け寄ると、母ぎみ様は、懐かしげに目を細められました。
「な、なぜ、こちらに! そのお姿は!? どうされたのですか!」
 ベリル伯のお屋敷にいらっしゃったころは、いつも高級なドレスをお召しになっておられたアマーリア様が、今はまるで、そう、店の給仕のような格好をしておられます。
「似合いませんか? 夫は、これも似合うと言ってくれたのですけれど」
 アマーリア様は、少女のように微笑んで、くるりと回ってみせられました。その仕草は優雅な、私の知る母ぎみ様のままです。
「お、お似合い……ですが……」
 お嬢様と似た、けれどもお嬢様の愛らしさとはまた違う、年を経た、気品に溢れた美しさ。質素な衣服は、いっそアマーリア様の気高さをさらに引き出しているようにさえ思われます。
「父ぎみ様……ウィルフレッド様もこちらに?」
「勿論。私は夫と暮らすために、屋敷を出たのですから」
 アマーリア様は、はにかむように笑われました。
 もともと、いつも穏やかに笑っておられる方ですが、その顔は、私が見たこともないほどの、喜びに溢れておりました。
 それだけで、幸せに暮らしておられるのは確信できました。けれど。
「何があって、どうしてここにおられるのです。お嬢様もフレデリック様も、それはそれは……」
 心配して、と言いかけて、そうでもなかったと思い直しました。とはいえ、呆れておられた、などと言うわけにもいかず、ついつい口籠ってしまいました。
 アマーリア様は、微笑まれたまま、私をある場所へと案内してくださいました。
 
 藁地区の外れ。古い倉庫を改装したらしいそれは、冒険者の店でした。
「”美女と覆面”……?」
 扉の上に掲げられた木製の看板には、流麗な交易共通語でそう書かれています。
「面映ゆいのですけれど、この屋号がいいとあの人が。ああ、勝手口からお入りなさい」
 言われるままに裏に回り、簡素な扉をくぐると、そこは厨房のようでした。あまり広くはなく、調理器具も最小限のものです。
「私も習ってはいるのですけれど、料理などあまりしたことがありませんでしたから、なかなか。夫は長らく一人旅をしておりましたから、大抵のことはできるのです。料理人が作るようなものではありませんけれど」
 食材の余りを片端から放り込んだようなスープが、大鍋の中でことことと煮えていました。まな板の上には、大きな肉の塊が置いたままになっています。たしかに大雑把な、傭兵や冒険者が野営で作るような料理ですが、なかなか美味しそうには見えました。
「お酒も色々な銘柄を揃えて……そういった仕入れも、全て夫が。とても有能な人だとは知っていましたが、こんなこともできるなんて、私も知りませんでした」
 アマーリア様は、誇らしげにそうおっしゃられました。
 まったく、この方は変わっておられない。ウィルフレッド様への、全面的な信頼と愛情。お嬢様が、兄ぎみ様に抱いておられるような。血は争えぬもの、なのでしょうか。
「……生活にお困りということもないようで、安心いたしましたが、なぜ、冒険者の店など? それも、エーデルシュタインで……」
 改めて疑問を口にすると、アマーリア様は、少し考えるようなお顔を見せられました。
「ここならば、フレデリックの噂を耳にする機会も多いと思ったのです。それに」
 アマーリア様の笑顔に、初めてわずかな影がよぎります。
「……ダーレスブルグに残るわけにはいかなかったのです。すぐに見つかってしまうでしょうし……。もし、見つかってしまえば、子供たちに迷惑をかけることになってしまうでしょうから」
「迷惑……ですか?」
「ここの屋号。”覆面”……今、夫は、素顔を晒すことのできない身なのです」
 厨房から表を覗くと、大きな背中が見えました。直接お会いしたことは一度もありませんが、あの方がウィルフレッド様なのでしょう。歴戦の戦士らしき鍛えられた体。……そして、その頭は、確かに覆面に覆われていました。
「……”穢れ”、でしょうか」
 失脚し、男爵位を失ったウィルフレッド様は、ダーレスブルグから姿を消し、危険な旅に出ておられたと聞きます。重い穢れを得……その結果、お顔を人目に晒せなくなってしまわれた?
「ええ。……私は、今の顔も悪くないと思うのですけれど。貴族として表舞台に復帰することは……」
 蘇りは禁忌。それも、一度地位を失われたウィルフレッド様です。大きな功績を上げたとしても、補うことは難しいでしょう。穢れが重いものであるならば、守りの剣の結界に立ち入ることすら難しいのかもしれません。
 そして、父ぎみが穢れを負われたと世間に知られれば、お嬢様とフレデリック様までも白眼視されかねない……。
「けれど……せめて、秘かにお会いになってはくださらないでしょうか。お二人なら、父ぎみ様がこの世に戻られた理由も、ご理解なされると……」
 私はそう言いましたが、アマーリア様は静かにお首を振られました。そして、ウィルフレッド様に聞こえないようにと配慮なされたのか、静かな声で囁かれました。
「これはね、プライド……意地の問題、なのですよ」
「それは……」
 思わず、身の程もわきまえぬ、荒い言葉が出そうになり、どうにか言い留まりました。
「幸いにも、子供たちはとても立派になりました。私たちがいなくても、変わらずにしているでしょう?」
「ですが……」
 ルーンフォークたる私自身には、親子の絆などあってないようなものですが、お嬢様とフレデリック様にとって、家族の絆がどれほど大切なものであるかは、お側にいて見知っております。
 けれど、所詮は一召使いである私に、何が言えるというのでしょう。
「秘密ですよ。フレデリックにも、エレノアにも」
 そのように仰られては、何も言えなくなってしまう。
 使用人としての分と、お嬢様への忠誠と、母ぎみ様からの願い。私の回路は焦げ付かんばかりでしたが、アマーリア様は、それ以上、念を押されることもありませんでした。
 
「よかったら、この街に来たときには、また、あの子たちの話を聞かせてください」
 そう言って、アマーリア様は私を見送ってくださいました。傍らには、ウィルフレッド様も。
「エレは、こんなに可愛くなっていたのか」
 私の来歴をお聞きになり、ウィルフレッド様はそう感慨深げに呟かれました。嬉しいような、苦しいような、複雑な気持ちになってしまいました。
「……それでは、失礼いたします。お二人とも、どうかご健勝であられますよう」
 アマーリア様は、私などよりもよほどお嬢様とよく似た笑顔で、ウィルフレッド様の腕をお取りになられました。
「初めてのことばかりですけれど、この人がいてくれますから」
 美しい給仕と逞しい覆面の、……失礼ながら、あまりにも怪しいご夫妻ではありますが、並ばれるお二人の仲睦まじいお姿は、お嬢様とフレデリック様のお姿に、とてもよく似ているような気がいたしました。
 
 
 以上が、私が思いがけず知ることになった、母ぎみ様と父ぎみ様の消息です。
 今も悩んではおりますが、ひとまずこのことは私の胸のうちに納め、お嬢様とフレデリック様にはお伝えしないことにいたしました。
 父ぎみ様と母ぎみ様は、幸せに暮らしていらっしゃる。そのことだけはお伝えしたいとも思うのですが、それも、余計なことのようにも思えるのです。
 ただ、私だけがご家族の絆を繋ぐ立場にいるのなら、死んでも忘れるわけにはいきません。
 ですので、貴方にだけこのことを書き記しておこうと思います。
 誰よりも優先すべきお嬢様ではなく、貴方にだけ伝えるなど、不遜の極みであると承知してはいるのですが。
 先の貴方がどうするのか、今の私にはわかりません。あるいは、今の私とは違う選択をすることもあるでしょう。どうかよく考えて、正しい答えを導かれますよう。
 いずれにしても、いくらかでもお嬢様の、そしてご家族の幸せに関わることができるのでしたら、それこそがフレデリカの、至上の幸福です。

紫嶋桜花
しじま・おうか TRPGのためなら絵も文も書く人。初セッション&IRC接続は1999年2月6日。2004年11月13日からは月光華亭2代目女将を務めさせて頂いております。


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