RPG今昔物語

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抜刀ファイター

「居合い」という剣法がある。 古くは居相、坐合、抜刀、抜剣、比の中(うち)などとも称した。 平たく言ってしまえば、自分の刀を鞘に収めた状態から、いかに戦闘モードに切り替える事ができるか。それを目的とする技である。 などという小難しい理屈はおいておいて。 西部劇でも「さきに(銃を)抜きな」などという台詞がしばしば聞かれるように、武器というのは先に準備した方が有利なのは言うまでもない。「居合い」というのはいわば変則技なのである。 その事実を反映するかのように、いわゆる普通のRPGにおいては武器をしまった状態から準備するには1行動分、余分にかかるようになっている。最近は特技などで「居合い(とかクィックドロウ)」が使えるようになっているRPGもあるが、そういうゲームにしたところで技能がなければやっぱり1行動を消費するのである。 さて、その昔。 我々はダンジョンの中で戦っていた。ダンジョンの中にいるのは基本的に敵である。もしも囚われの美女とかが牢屋にいたら、そいつは70%の確率で幻覚かモンスターがばけているのである。嘘だと思うのなら当時を知る人間に聞いてみるがいい。牢屋の囚人はトラップの一つだと、胸をはって答えるであろう。 当然、ダンジョンの中での我々は常に臨戦態勢にあった。片手には抜き身の剣なり斧なりメイスなりを構え、もう片手には明かりや盾を用意していた。敵が出てきてもすぐに戦えるように準備万端整えて。そして出会った敵を次々に血祭りにあげていったのである。 やがて我々が、ダンジョンの外に出る日がやって来た。 もちろんそれまでも、ダンジョンの外で買い物なり休息なりをしていたのであるが、それは基本的に「プレイの合間」での出来事であり、あくまで戦場はダンジョンの中だったのである。 だが、平和であったダンジョンの外も、RPGが進化するにつれ戦場となっていく。 この環境に最初に適応したのは、やはりマスター側であった。良いマスターというのは常にプレイヤーを陥れる機会を見逃さない物であるからだ。いや、今の目で見れば別の見方もあるだろうが、その頃の我々にとって、マスターとは常にエネミーであった。ダンジョンの中を進む時も、前後左右を常に警戒し、足下を確認しながら進むなどとプレイヤー達が宣言しようものなら、「頭の上からスライムが落ちてきた」 と喜々として言い、我々がそれに文句をつけると、「君たちの行動宣言の中に『天井をチェックする』という言葉はなかった」 と平然とぬかす始末である。嘘ではない。ダンジョンの入り口に可燃性ガスの罠が仕掛けてあり、松明やランタンを持って入ったら問答無用で爆発する、そういうマスターが『上手な』マスターだという、そんな殺伐とした時代だったのだ。 とはいえ、視界の開けた街道を歩くパーティーにトラップを仕掛けるのはさすがに難しい。そこでマスターは一計を案じた。「街道脇の茂みの中から、男達が現れた。山賊だ」「よし戦闘だ。イニシアティブをとったぞ。まず山賊Aに斬りかかる」「それはできない」「なぜだ?」「君たちはまず、武器を用意しなければ攻撃はできないからだ」 かくして、まず最初の1行動でPC達は武器を用意し、その間に敵は無条件で1回攻撃ができる、という図式ができあがった。 何? 山賊ならまず「おとなしく金目の物を……」などの台詞を言って、それに答えてPCが武器を用意するだろうって? 繰り返し言おう。 そんな悠長な時代ではなかったのだ。 敵も味方も無言のまま、まず相手を殺し、しかる後に身ぐるみをはぐ。これが正しいプレイであると我々は固く信じていたのである。 さて、こうした遭遇戦が二度、三度と続くうちに我々も対応策を練る事になった。つまり、ダンジョンの外であっても危険度はダンジョンの中と同じであると判断するようになったのである。 平たく言ってしまえば、 町から出たらまず抜刀し、武器を構えて歩く。 こう行動宣言するようになったのだ。さすがにマスターも、町の中では(戦争状態にない限り)戦闘は起こさなかった。収拾がつかなくなるからである。 いや、もう既に収拾がついてないという話は置いておくとしてだ。 このように武器を用意して街道を進む連中を、我々は「抜刀ファイター」と呼んでいた。この「抜刀ファイター」戦術は実に有効で、PC達が武器を用意している間に敵に先手を取られるという不手際はなくなったのである。 そしてRPGはさらに進化し、「ストーリー性」などというものが入るようになった。殺し合いだけがRPGではなくなったのである。ファイターも、街道を抜刀して歩くなどという事はなくなった。 しかし人はそう簡単に昔の習い性が抜ける物ではない。 ある日── 街道を進むパーティーの前方から、豪勢な馬車と騎乗した男達が出現した。 プレイヤーの一人がぴくり、と眉をあげて聞いた。「その連中は武装しているか?」 マスターは答えた。「鎧を着て、剣をさげている」「マスター、作戦タイムだ。──どう思う?」「怪しいな」「ああ、俺もそう思う。どうする?」「とはいえ、さすがに怪しいだけでこちらから先に攻撃するのは問題だろう」「そうだな、だが、準備はしておこう。先手を取られるのはごめんだからな」「よし。マスター、行動宣言だ。我々は武器を抜き、戦闘準備に入る」「は、はいぃ?」 不幸な事に、そのマスターはまだ若く、RPGを始めて日も浅かった。血で血を洗うプレイという物を経験していない、新しい世代の人間だった。(……この馬車には王女様が乗っていて、その回りの騎士達はその護衛なんだが……えーと、この場合って……) 王女の乗った馬車を囲んで街道を進んでいる時に、前に現れた正体不明の連中がいきなり武器を構えたとしたら、護衛の騎士がどのような判断と行動を下すか、これはもう火を見るより明らかである。「えーっと、騎乗した連中は武器を構えます」 汗をだくだく流しながら言うマスターを見て、プレイヤー達はえたりとばかりうなずいた。「くくく、やはりな」「馬脚を現すとはこの事だ」「これは正当防衛だ。行くぞぉぉぉ!!!」 プレイヤーの怒号と、マスターの悲鳴が交差した。 今は昔の物語である。 ■銅大のRPGてんやわんやhttp://www.trpg.net/user/akagane/

By |2014-02-28T20:10:08+09:005月 4th, 2013|Categories: 2002年12月号|Tags: , |抜刀ファイター はコメントを受け付けていません

36人PC大乱戦

 今から10年ほど昔の事である。 あの頃は私も若かった。つまりそれはどういう事かというと、      「常 軌 を 逸 し て い た」 わけである。 若者は常に暴走する。 重い元素の原子核が分裂し、中性子が飛び出すように。ただひたすらに、まっすぐに。中性子は純粋なのである。プラスだのマイナスだのという電荷には囚われることなく、盗んだバイクで走りだすのだ。 これが青春の証でなくてなんだというのだ。 そして飛び出した中性子は、次の重い原子に激突し、そいつを割る。さらに中性子が飛び出す。さらに──さらに──さらに── ようするに 私はいつの間にか巻き込まれていたというわけだ。 我々は、ぐつぐつと煮える魔女の鍋の中(二次冷却水)にどっぷりつかり、大量の食料を食い散らかしながら(脳は人間の器官の中でもっともエネルギーを浪費する。ただいたずらに)自分たちが何をなすべきかを議論したのである。      「R P G の た め に」 いや、正直言おう。そこまで狂ってはいなかった。広島県民には良い意味でも悪い意味でもバランス感覚があり暴走していても理性のヒモが千切れる事はめったにないのである。 我々はただ祭りをやりたかったのだ。アメリカじゃあ、もっとでかい何千人っていう祭りが行われていたのだが知識もノウハウもない若造にそんなでかい花火があげられるはずもない。 ようは自分たちが愉快で、まあ、他人に「あれやったんだぜ」って威張れるような、そんなイベントを開催しようじゃないか、とまあ方向性はだいだいそんな感じで決まった。 この時点での私の役目はあまりたいしたものではない。私はたいていの事は愉快がってしまえる人間なので、げらげら笑いながらそこらをぶらついていたのである。イベントの企画や進行はもっと真面目な人間がやってくれる事になった。 結果として決まったのは、6つのテーブルで同じシナリオをプレイしようというものであった。 まあ、これだけならどうという事はない。だがほとばしる青春のパトスはそれだけでは満足せずに、この6つのテーブルを1つのダンジョンでリンクしようとしたのである。 つまりこうだ。 6人からなる6つのPCのパーティーが、別々の入り口からダンジョンに入る。この時点では、それぞれの6つのテーブルでは各マスターがついて普通にRPGを行う。 普通でなくなるのは、この先である。 各パーティーがダンジョンのどこにいるかは逐次グランドマスターと呼ばれる統括者のところへ連絡がいく仕組みになっていた。そして、複数のパーティーが同時に同じ場所に到達した時。 プレイヤーは自分のテーブルを離れて中央に集まり、直接顔を合わせる事になるのである。 そこで挨拶するもよし、何か情報やアイテムを交換するもよし。 普通ならそう考えるであろう。 しかし我々はそれでは      「面 白 く な い」 と考えてしまった。 各パーティーはライバルであり、ダンジョンを制覇して勝利できるのは1パーティーのみという勝利条件を設定したのである。つまりは切り捨てごめん。パーティーアタック万々歳。死して屍拾う者なし。そういうシナリオにしてしまったのである。 もちろん、各パーティーの戦闘力などそんなに大差はない。まじめに正面から殴り合いをすれば互いにただではすまない。それくらいならシナリオ達成に力を注ぐのが正しいプレイというものである。 だから、まあ、ライバル関係というのは緊張感というスパイスにはなっても、実際にはゲーム進行に影響を与える事はなかろう。      「そんな甘い事を考えたのはどこのどいつだ馬鹿野郎」 プレイ開始後2時間。 だらだらと脂汗を流しながら事態を見守る私がそこにいた。 場所はダンジョン内の大広間。 そこに、6パーティー全員、36人のPCが集合していたのである。 36人のPCには36人のプレイヤーがつきものである。 それなりに広い会場ではあったが、何せマケドニアファランクスのごとき密集陣形であるから暑苦しいことこの上ない。 最初は、どうという事のない同盟だった。 あるパーティーが、別のパーティーと組んだのである。      「2対1で、他のパーティーを襲えば、楽勝だ」 そしてダンジョン内の往来の中心ともいうべき大広間に陣取ったのだ。 しかし、いかにも臨戦態勢で獲物を待ちかまえる2組のパーティーを見て、やってきたパーティーがおいそれと近づくはずもない。警戒し、大広間をはさんで対峙する事になった。 繰り返す。大広間はダンジョン内の往来の中心であった。 残りのパーティーもいつしか大広間に集結し、気が付けば3対3、18人対18人の図式ができあがっていたのである。      俺 の せ い じ ゃ な い しばしの間、にらみあいが続いた。 思えば、東西冷戦時代というのもこんな感じではなかっただろうか。 そして一触即発の事態は、一人のシーフによって破られた。      「往 生 せ ぇ や あ あ!!」 魔法で透明になったシーフが、敵陣営の魔法使いに一撃必殺の不意打ちをくらわせたのである。まず、最も強力な敵を倒す。兵法の常道である。 ちなみに、この一撃で死亡した魔法使いのいまわの台詞は      「せめて1回でいいから魔法を使いたかった」 であった。合掌。なむなむ。 とにかく、その後の混戦状態は見物であった。シーフによる奇襲攻撃を行った陣営は、すぐさま加速の魔法を使って短期決戦を挑む。まるで真珠湾奇襲をかけた日本軍のようである。もう一方の陣営はさすがに防戦に開けた地形は不利と判断し、通路へと退却。そこへ追撃をかける敵軍を扉へのロックの呪文によって分断、狭い隘路で戦士がパリーをしている間に後方で戦力を立て直す。 ずるずると消耗戦に引きずり込まれた攻撃側陣営の中には「勝機は去った」とばかりに立ち去るメンバーが出たりと、しょせんは利で結ばれた同盟のもろさが露見する一幕もあった。 ともあれ、多数の死傷者を出した戦いは、どちらが勝利したともつかぬまま、いつしか終結したのである。      戦 い は 常 に む な し い ぼろぼろになったPC達の背中を見送る私の胸に、そんな思いが去来したのであった。 今は昔の物語である。 ■銅大のRPGてんやわんやhttp://www.trpg.net/user/akagane/

By |2014-02-28T20:10:12+09:005月 3rd, 2013|Categories: 2002年12月号|Tags: , |36人PC大乱戦 はコメントを受け付けていません