クトゥルフの着メロ
『クトゥルフの呼び声』はホラーRPGである。
探索者と呼ばれるPCは、この泡沫の世界の本当の姿を知ってしまい、己の正気(SAN)を失いながら真実と狂気への道を歩み続けるのである。
それじゃあ、遊んでいる時にみんなが恐怖にうち震えているかというとそんなこたぁない。少なくとも私の回りでは、
「あの日のプレイ以来、夜はトイレに一人で行けなくなったので、5才の娘を起こして手をつないでトイレに連れて行ってもらっているんだ」
「ああ妻子持ちはいいよな。俺なんか成人用紙オムツをつけて寝てるんだぜ」
「ふん、金のある奴はこれだから。俺なんか『しびん』だぞ」
などという話はとんと聞いた事がない。
むしろ逆で、げっらげら笑いながらプレイしていたものである。
「じゃあ聞き耳判定をしてくれ」
「よしっ、失敗したぞ」
「うわっ、成功してしまった」
「では成功したキミは、」
「聞きたくねぇっ。耳をふさぐっ」
「その手をがしっと押さえる」
「うおー、離せー、聞きたくねぇー」
「まあそう言わずに聞け。井戸の方からだな、『いちま~い、にま~い』と何かを数える女の声がだなあ……」
「しかも番町皿屋敷かよっ」
「いや播州皿屋敷だ」
「ネタは一緒だろうがっ」
「分かっているならいい。SAN(正気度)チェックだ。失敗するとSANを1d6減らしてくれ」
ここが肝である。どんなしょうもない話でも、
「じゃあSANチェックだ」
この一言でオチてしまうのである。いわば、『笑点』でくだらない事を言っても
「お~い、座布団ぜんぶもってけ」
これで笑いがとれるのに似ている。
……似ているよね?
……まあそういうわけで、「情報を得る」=「正気が下がる」ゲームなものだから、キャラクターを作る時はいかに朴念仁で役に立たない奴を作るかがプレイヤーの腕の見せ所であった。
「じゃあ、この部屋に何かないか、全員、目星でチェックしてくれ」
「失敗」
「失敗」
「失敗」
「失敗、よし次に行こうか」
「待て待て待て待て待て。しょうがないのぅ。机の上にあからさまに怪しい血に濡れた日記があるぞ」
「日記だって?」
「そうだ」
「他人の日記を読むのはよくないよな」
「ああ、俺もそう思っていたところだ」
「気が合いますね。私もです」
「うむ、紳士たるもの他人のプライバシーは尊重せねば」
「では次に行こうか」
「待て待て待て待て待て。日記にはだな、驚くべき真実が書かれてあったのだ」
「だから読まねぇって言っているだろうが、わからん奴だな」
「読ませたいんだよ! 英語読み書きで判定だ」
「失敗」
「失敗」
「失敗」
「しまったっ! 成功しちまったっ!」
「へっへっへっ。じゃあお前さんのPCは日記の最後のページにだな、こう書いてあるのを読んでしまう。
……すると蕎麦屋はこちらを振り返り、『こんな顔でやしたかい?』と言った。その顔は、なんと……」
「のっぺらぼう」
「のっぺらぼうだな」
「今時『むじな』かよ」
「というかここはアメリカだろうが。しかも禁酒法時代の」
「うるさい。アメリカだろうが禁酒法時代だろうが、アーカム・シティのストリートには今も昔も立ち食い蕎麦屋の屋台があるんだよ。俺がルールだ」
「言い切りやがったよ、可愛くねぇ」
「さあ、SANチェックだ」
思えば苦労したものである。
あれから十数年。21世紀になって火星大接近の年になった2003年現在、有人火星旅行は実現しなかったが、今ではインターネットが世界を結び、携帯電話が子供にまで普及した。
今なら、今ならば。
クトゥルフの呼び声で情報をPCに与える事にキーパー(GM)が苦労しなくてもすむのではなかろうか。
電子メールを開いたとたん、そこには恐怖の情報が書かれ。
googleでヒットするのは、悪夢の扉(サイト)だらけ。
運悪くそれを目にしたPCはすぐさま道連れ──ではなくて情報の共有のために他のPCにメールを送り。
ショゴスに食われそうになったPCは冥土の土産に、携帯電話のカメラでバケモノの写真をとってそれをメモリにあるアドレス全部に送信してくれるのではないか。
あの頃のどたばたプレイを思い出すにつれ、しみじみとそう考えるのである。
なぜなら我々は情報なしでは生きていけなくなっているから。
そうだ。それがたとえ──
クトゥルフからの着メロ(コール・オブ・クトゥルフ)であったとしても。
今は昔の物語である。