2003年10月号

勇者論考シリーズ1――最後の街――

特集: 特集名を新規作成
筆者: ニセあみ

 宿の機能は、疲労の回復と落ち着いた治療が第一である。
 これはCRPGの次にTRPGを知った世代のプレイヤーでなくとも同じ意見であろう。疲労の回復と落ち着いた治療、明日の活力を再生産するのに一番重要なのは先ず安全であること。
 人災以外からも、守られていることが重要である。虫害の例が7月号の記事で紹介されていましたが、宿泊者の肌が蝕まれるのは、これはつらい。食事ひとつとっても、虫害や食中毒や異物混入(近代以降なら、公害や誤った知識も侮れない)などの対策が杜撰であったりする。

 宿は兵糧の延長であり、勇者でも冒険者でも選ぶべき武具のひとつ。勇者チームの職人(技術者)や商人であってもクロークよりも重要な、厳選を避けることのできない武具といえる。
 贅沢ではなく、安全のために本当の高級宿は勇者にとって必要。
 本当の高級宿を見分けるのは、勇者自身か勇者の魂の一部ともいえる仲間が行うであろう。一般人は、商業従事者から事前調査されたデータを分与される、ぐらいしか見分け方を知らないであろうけれど。

 行動の自由や武器の所有(社会の肯定)も、勇者にとっては必要。勇者は、そのためには品行方正か、少なくとも社会の勢力に負担を強いるようなことはしないようにしないように。

 そして勇者はクリーンであるように努めなければならない。
 儀式魔法の観衆を集めるだけが勇者ではないのだ。隕石が地球を翳めていても、都市の祝祭に夢中になっているだけで、人類社会(北米圏、欧州圏など)の大半の組成ユニットは良いのだ。
 勇者の原型は生贄の珍獣。聖獣。勇者は、人類代表。

 安宿が安宿たる所以は、あらゆるものから守られていないこと。幾多の五軍六軍チームともいえる、名も知らぬ大切な仲間たちの力が、勇者を助けることができない、ということ。
 都市で野宿することの延長、といえるかも知れない。呪文だけを見ても《避難所》《食料(水)浄化》(または作成)《見張り(番犬)》を使用することで快適になる宿は、限りなく野に近い。技能だと先ず〈生存/都市〉といったところだろうか。
 都市、村、野のエリアを区別するのは何だろうか。霊界の住人であったり、あらゆる世界を識る知性だけの存在であったり、その魂と精神の器が著しく人類とかけ離れているユニットには、要らないことかも知れない。世界と己の繋がりが神の如く調和している肉体のユニットには、もう宿は要らないであろう。

 それらはまた後日述べることだが、今月の結論は。
 安宿を、あまり宿と思うな。


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