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2004年01月号

近隣の冒険

特集: 単発記事
筆者: たゆ

 私の場合、TRPGより先に、ごっこ遊びがあった。人形遊び、鬼ごっこ。祖母の家では、昔から伝わるという雛人形が小さな皿や箪笥や服なども揃えて、春の3月が近づくと二階の十二畳間に並べられていた。家の内外でごはんを食べたり河へ遊びに行ったりする合間に、ちょっと探検したくなったときは、お化けが出るのではないかとどきどきしながら暗い焦げ茶色の急な木の階段を登って、飾られている雛人形を見に行ったものである。とにかく、祖母の家の二階は不思議な気配を籠もらせていた。
 小学生の頃は鬼ごっこをしていた。学校に慣れると、近所の友達を昼休みや放課後に集めては、4~5段の鉄棒でジャングルジムで「わにおに」というゲームをしていた。2段目まで、鬼は登れるが、それ以上は逃げる側しか登れず、鬼は必死になって背と手を伸ばしてタッチしようとし、逃げる側は立方体の鉄棒の間をくぐり抜け、ジャングルジムの頂上を足で綱渡りして、反対側に逃げる。全身を使って元気よく遊んでいたのだろう。その当時は多分DEX(笑)も鍛えられていたと思われる。放課後は、通常の鬼ごっこをしていた。道より少し高いところに登ればその間は大丈夫、間に合わなくてタッチされたら負け、とい うルールである。
 遊ぶ仲間を集めるのは楽しかったが、二年も三年も同じ繰り返しでは、そのうち通常の複雑でどろどろとした人間関係を調整する能力が損なわれていったらしく、ある日、ジャングルジムに登っていたら、自分が何をしているか、きれいさっぱりと忘れてその後、困っている。やはりゲームのやりすぎは禁物だ。小学六年生になって皆、塾や部活に行くようになると、遊ぶ子供も少なくなり、寂しいと思ったことも覚えている。
 そういえば、小学校の頃は班長も務めていて、6人、という如何にもTRPGに当てはまりそうなグループを切り盛りしていた記憶もある。その班には屈強であくの強い一筋縄ではいかないくせ者の子供ばかりが集まっていて、なんだか妙に面白い楽しい気分で学校生活を送っていたのを覚えている。
 中学の頃もあまりまじめではなかった。1年のときに、姉が駅前の書店に連れて行ってくれて『火吹山の魔法使い』というゲームブックが出ているのを教えてもらい、さいころ片手にページを繰りながらどんな展開になるかを楽しんだ。2巻目か3巻目のホラーものを、北向きに姉と私と二つ分並べられた机に向かって解いていたときに、周りが静まり返って、ゲームブックの中の世界が本当にそこにあるように感じられて怖かったその瞬間も鮮明に記憶に残っている。たぶんそこに面白さを見いだしたのではないかと思う。そしてD&Dが近所一帯に流行した。
 例によって例のごとく、中学でももちろん、友達を集めては学校の昼休み、よく考えると20分かそこらの短い時間に、地図を書いてモンスターを決めてサイコロを振って、と廊下にたむろして遊んでいた。楽しかったのだろう、と思うけれど、あるとき、ファンタジーを全く知らない同学年の人を家に呼んで、D&Dを遊ぼうとしたとき、説明に困って、結局セッションにならなかったことがある。これも、TRPGにおける挫折を初めて知った経験といえるだろう。今なら、そういう人には現代の世の中を舞台やモチーフにして、TRPGのシナリオを進めるかもしれない。


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