宿屋でする事
冒険を終えて町に戻り、宿屋に泊まる。
休息の一時である。
GMの視点から見るとこうなる。
掠奪を終えて町へ逃げ込み、宿屋に隠れる。
論争の始まりである。
実際、事ここに至ってGMに出来る事はあまりない。昔は若気の至りでいろいろとちょっかいも出したが、事態が紛糾し、プレイ時間がやたらと延びるだけなのを知ってからはそういう事もしなくなった。
後はプレイヤー達がすみやかに合意を取り付ける事を神に祈るだけである。
そこまで考えてGMは苦笑する。なんてこった。俺は自分自身(GM)に祈っている事になるぞ!
まあ実際、ヤハウェの神に祈るのもアッラーの神に祈るのも仏に祈るのも八百万の神々に祈るのもこの場合は大差がない。ならば自分自身に祈りを捧げても悪くはないだろう。
GMはできるだけ楽な姿勢をとり、椅子の背もたれに身体をあずけた。さて、今回は前回ほどひどくならなければ良いが。
むろん彼はそれがむなしい望みであるという事を知っている。イスラエルとパレスチナの、イギリスとアイルランドの、インドとパキスタンの、韓国と北朝鮮の、まあそういう世界中で発生しているありとあらゆるもめ事を解決しようという会談と同様に、この会談もまた難航する事になっているのだ。絶対にそうだ。
「扉に鍵はかけたな」
「ああ」
「窓の鎧戸も下ろしておけ」
「おう」
未だ血の匂いがぷんぷんしている武具を身につけた冒険者達が、洞窟の中と同じか、それ以上の緊張感をもった表情で宿の部屋の中を動き回る。部屋は個室である。宿の主人にはチップを積んで誰もこの部屋に近づかないように言ってある。
「さてと」
閉め切った部屋の中で、カンテラの明かりに照らされた男女は広げた白いシーツの上にバックパックやザックの物を並べていく。ここで不正がないように、自分のではなく隣りの人間のバックパックやザックから取り出していく。
「これだけか?」
互いに自分の手元に控えたメモとそこに並べられたリストを確認していく。
「銀の短剣があったはずだぞ」
「あれならほら、アンデッドに刺さったまま一緒に崖の底に落ちていっただろう」
「なぜ拾いにいかなかった」
「ムチャを言うな。下手につついたら何が出てくるか分からない状況だったんだぞ」
「……まあいい。よし、それじゃあ始めるぞ」
そう、ダンジョンから戻った彼らが宿を取ってまず最初に行う事。
それは風呂に入る事でも睡眠を取る事でもない。
ダンジョンで手に入れた宝物を分配する事である。
これを済ませるまでは、冒険はまだ終わっていないのである。
人間、欲望は何よりも強い。友情よりも愛情よりも、場合によっては命よりも欲望の方が優先される事がある。彼らはそれを知っている。これまで何度詰めを誤って、強力な魔法のアイテムと一緒に敵の親玉が心中するのを防げなかった事か。奴らは己が命を捨ててまで、アイテムがPCの手に渡るのを防いだ。そうした数々のアイテムがいかに強力であったかを身をもって知っている彼らは、自らの身もそうした魔法のアイテムで飾り立てようという妄執に取り憑かれている。たとえどんなに不格好だろうが、プラスが多い物はいい物なのだ。
「さてと、まず金の分配からいこうか。言っておくが──」
「暫定的なもの、でしょ。わかってるから早くして」
「じゃあいくぞ。金貨が843枚、銀貨が3261枚、銅貨が……」
会計係の魔法使いが読み上げ、電卓を叩く。そして人数で均等割りを行う。割り切れなかったものはとりあえずバッファとしてとっておく。
「さてと、アイテムだが──まず魔法の両手剣。対アンデッドにボーナスがある」
「いらん」
「俺もだ」
戦士二人はにべもなく首を左右に振った。ドレイン能力を持つアンデッドとの近接戦闘はあらゆる戦士の忌避するところである。どうしても戦う場合 には、相手の攻撃を防ぐ盾は必要不可欠である。両手剣ではいくらボーナスが付こうが盾を失うデメリットを補えるとは思えない。それに両手武器はイニシアティブを失う。
「ならばこれは売り払うか。いくらになる?」
「そうだな」
盗賊PCのプレイヤーがGMを見る。GMはメモを書いてプレイヤーに渡した。
「(GMから渡されたメモを見て)……金貨750枚」
「そうか。ところでお前さんのキャラクターシートの所持金の欄をメモさせてもらっていいか」
「ちっ。……まあ交渉しだいでは金貨1000枚まで値段を上げられるかも知れん」
「そうか。それじゃあ、金貨1000枚という事にしておこう。みんな、異論はないな?」
異論はなかった。
GMは大きくため息をついた。最初から彼が盗賊に渡したメモには「金貨1000枚」とだけ書かれていた。
いったい何がここまで事態を複雑化させているのか。決まっている。生き延びるためだ。より金をかけ、より良い装備を身につければそれだけ生存の確率は高くなる。皆、ここまで成長したPCを失いたくないのだ。そしてたいていのRPGではある程度成長すると、伸びが鈍化する。だから成長の代わりにより良い装備を追い求める。
魔法の杖やスクロール、重い金属鎧など特定のPCしか装備できない物についてはある程度分配はスムーズに進んだ。弾薬ベルトのようなスクロー ル・ベルトを肩から斜めにかけた魔法使いは今回消費した5本のスクロールが補充できてほくほく顔であったが、そこで他のメンバーから指摘がきた。スクロー ルを補充したのだから、魔法使いは現金の配当を諦めるべきだというのだ。もちろん魔法使いはスクロールの使用はパーティーの生存のために必要不可欠であ り、その消耗を補うのと自前の装備とは別問題だと反論した。喧々囂々の論争の末、用途の限られているスクロール1本を売りに出す代わりに魔法使いは配当金を得る事になった。魔法使いは不満そうであったが、他のメンバーも決して納得はしていない。そして全員がこのような宝物を出したGMに恨みを抱いた。
GMは心の中でため息をついた。ゲームシステムを作ったデザイナーに文句を言ってくれ、と言いたい。魔法使いは金がかかる。確かに序盤においては魔法よりも戦士の装備の方が重要なためそちらに金が回されるが、中堅クラスになってくると魔法使いの方がより金がかかるようになる。戦士の資産であるhpは勝手に回復するが、魔法使いの資産である呪文は勝手には回復しないのだ。
そう決めたのは自分ではない。自分としてはそのあたりのバランスを取るためにスクロールを多めに出したのだが、そうした配慮が不公平感を生む所にまでは思い至らなかった。
いや、至ったとしても結局は同じか。GMは考え直した。逆に消費したスクロール分の追加割り当てを魔法使いが要求し、事態は混乱を極めただろう。
人間というのはなんとも業の深い生き物である。
人は貧乏には耐えられる。
このパーティーも、結成されたルーキーだった頃は少ない食料を分け合って食べ、宿の部屋が取れずに馬小屋で肩を寄せ合って眠り、魔法も何もかかっていない、ただ金属製というだけの鎧を見つけてみんなで大喜びで砂で磨いたものだ。仕立て直すのに戦士の金が足りなかったのを、魔法使いがそっと自分の分を渡した事だってある。
だが、貧乏には耐えられても不公平には耐えられない。それぐらいならいっそ、何もかも打ち捨ててしまいたくなるほどに。
そしてついに最後の宝物の分配となった。
「さて──魔法の指輪だ」
全員の目がぎらりと光る。
「ダメージ吸収の効果がある。まだ持ち主が決まっていないのでどれだけのダメージが吸収できるか分からないが。1d100点のダメージを吸収する。そしていっぱいになると壊れる」
「俺の、あいや俺達の誰かが持つべきだ。戦士は常に前線で戦っている。危険が一番多い。だから俺達が持つべきだ」
「馬鹿なことを言うでない。その代わり戦士系職業はhpが一番多いではないか。ここは我々魔法使いが持つべきだ。hpが少ないのをカバーしてくれるだろう」
「hpが少ないなら盗賊だってそうだ。戦士が常に前線で戦っているというのなら、盗賊は常に罠や錠前と戦っている。それも一人でだ。そもそも、こうして集めた宝物を宝箱から回収したのは誰だと思っているんだ」
「けっ。盗賊風情が一人前の口をきく」
「なんだとぉ?!」
「待て。落ち着け二人とも。盗賊の働きは認めるが、パーティーは全員で一つだ。誰が欠けてもいいという事はない。ここは公平にダイスで決める事にしよう」
「それは構わないが、この指輪を手に入れた者は金の分配権は放棄するべきだ」
「うーん。そいつは……」
「何を言っている。その指輪を売っただけで分配金の何十倍もの金が入るんだぞ。当然の事ではないか」
「しかし、消耗品の補充もあるだろう」
「手持ちの金で何とかするべきだ。でなければ借金をすればいいだろう」
「そりゃそうだが……」
「決まりだな」
かくして、公平なダイス振りの結果、ダメージ吸収の指輪は盗賊が所有する事になった。
そしてその指輪を付けた盗賊は、次の冒険で溶岩のトラップに落ち、真っ赤に焼けた溶岩によって毎ターン大ダメージを受けた。
指輪は、何度かダメージに耐えたがついに壊れた。仲間はその間に盗賊を助けようとしたが縄のロープが焼き切れたため、ただ見ているしかなかった。
そして盗賊は真っ黒に焼けながら溶岩の海に沈んでいった。
「なんとも胸くそが悪くなるようなトラップだな」
「あいつ、苦しんだろうなあ。ダメージは吸収されても熱いのは変わらないからな」
「そういや、このダンジョンに入る前の雑貨屋で金属製のワイヤーを売ってたな」
「伏線だったわけか。盗賊もそれを使っていたら熱でロープが焼けて切れる事もなかったろうに」
「いや、買いたいとは言っていたぞ。だが金がなかったらしい」
「無駄遣いするからだ。いくら鎧の品質を良くしても盗賊なんだから意味がないだろうに」
「あの指輪ももったいない事をしたな。あれではアイテムの無駄だ」
「まったくだ。それにしてもひどい罠だ」
全員の非難の視線がGMに向いた。GMはこの罠は自分が考えた物ではなく、ひどいのはアメリカ人のシナリオ・ライターだと言いたいところだったが黙っている事にした。盗賊が指輪をもらう代わりに分配金がもらえず、それで金が足りなかった事も黙っていた。盗賊を除く全員がそんな事をきれいさっぱりと忘れているのは間違いないからだ。
そしてただ恨みがましい目でこちらを見ている死んだ盗賊のプレイヤーに新しいキャラクター・シートを渡しながら考えた。
高価な魔法のアイテムは当分出さないようにしよう、と。
今は昔の物語である。