2003年11月号

冬の時代

特集: RPG今昔物語
筆者: 銅大

 ある商品が売れなかったり、めぼしい品が出なかったりすると、すぐ『冬の時代』という言葉が使われる。
 あなたも耳にした事があるだろう。

「パソコンも冬の時代だね」
「京極夏彦も面白くねぇし。新本格も冬の時代かなぁ」

 本当にそうか、というのはこの場合あまり重要ではない。
 おおむね『冬の時代』を口にする輩というのは、愚痴をこぼしたり、過去を懐かしんだり、誰かをけなしたりするのが目的なので、そのジャンルが実際にどうなのかはあまり関係ないのである。

 さて、それではRPGの『冬の時代』について語ろうではないか。むろん、この言葉を使う先人に習って、私も客観的な数字や証拠をあげるつもりは毛頭ない事をここにお断りしておく。

 RPGというジャンルにとって、『冬の時代』とはどういう物なのだろうか。

 出版点数が少ない?
 出版部数が少ない?
 類似商品ばかり出ている?
 雑誌などのサポートがない?
 遊戯人口が減少している?

 ノンノンノン。そんなものは他人の都合である。
 いくらRPGが興隆を誇ろうが、『あなた』がRPGを遊べなかったら何の意味があろうか。
 よって、ここではRPGの『冬の時代』を、

 RPGが遊べない時、RPGで遊びたくない時

 という切り口で捕らえようと思う。
 では『冬の時代』はどういう時に到来するのであろうか。

受験

 RPGは意外と時間と手間のかかる遊びである。セッションの間だけでなくその前のルールの読み込みやキャラクターやシナリオの作成などにも時間がかかる。ましてやオリジナルのシステムやワールドを作り始めたらもはや底なしである。
 受験は、その時間を奪う。正しくは受験勉強によって、もっと正しくは受験についてうだうだと考える事でそれ以外の事をやる気が削がれてしまうのである。
 剛の者だと大学受験ぐらいだと「浪人すれば遊ぶ時間が増えるわい」などとうそぶく場合があるが、これが高校受験となるとさすがに浪人するわけにもいかず、まじめに取り組まないといけなくなる。
 まさしく冬の時代の到来であろう。そういや受験そのものも2月とか3月初旬とか、寒い時期にやるよね。
 よし、もっと踏み込んで『寒い時代』と名付けようではないか。ルナツーのワッケイン司令あたりが言いそうだな。

恋愛・結婚

 まじめにRPGに取り組んでいれば、そもそも恋愛や結婚に費やす時間などないはずなのであるが、何を間違えたか恋をしたり、あまつさえ結婚をしたりするゲーマーがいる。
 恋をすればむろんデートだのなんだのでRPGに費やす時間はなくなってしまう。むろん、中にはコンベンションでデートをするというゲーマーのカップルなどもいるが、ダンジョンの中で生死の境をさまよっている時に脇でいちゃいちゃされるとたいへん迷惑である。というかむかつくのでやめるように。どうしてもやりたかったらシャドウランあたりで互いに裏切ったり殺し合ったりするように。皆も祝福してくれるであろう。
 結婚も、家庭に縛られる時間が長くなるという意味でRPGにとっては『冬の時代』である。子供ができて家族サービスをする必要ができると休日などあってなきがごとしである。ただ、結婚に関しては本人の意向だけで『しません』とは言えない状況に追い込まれる事もあるだろう。情状酌量の余地があるかも知れない。
 たとえば……そうだな、家が古い名家で資産もあれば、その後継者として結婚せざるを得ないかも知れない。結婚相手も子供の頃から決められた美人の許嫁がいて、幼なじみみたいに育って、「おにいちゃん」と懐かれていて、朝になると起こしにきて一緒に学校に行って、お弁当はむろん彼女が朝早く起きて作ってくれていて……
 やっぱり情状酌量の余地はないな。死んでしまえ。
 結婚は人生の墓場だという名言に従い、この時代を『墓場の時代』と呼ぼう。

引っ越し

 今でこそインターネットの常時接続が増え、オンラインでのセッションが自由にできるようになったが、そうでない時代には引っ越しによって遊び仲間から引き離されるというのはかなり致命的な出来事であった。
 そもそもRPGというのはコミュニケーションの遊びであるが、あなたの周囲を見回しても分かるようにどういうわけかRPGを遊びたがる人間というのはコミュニケーション不全な人間が多い。
 そういう人間は引っ越しどころか、たとえば学校を卒業してしまった、というだけでもう新しい友達を作る事ができずにRPGをプレイしなくなるのである。
 だがこの場合、一番恐ろしいのはコミュニケーション不全が逆の方向に作用している人間である。すなわち「みんなから嫌われているのにそんな事おかまいなしに仲間に割り込んできて遊ぶ」押し出しが強い輩である。こいつにとっては引っ越しで新しい場所に行ってもそこでRPGサークルを見つけてずかずか入って来るのであるが、周囲の人間はそいつのおかげで楽しく遊べなくなり、ついにはRPGを遊ばなくなってしまうという。
 ほら、あなたの周囲にもそういう人間はいるだろう。
 ……え? なんで皆してわしを指さすのかな?
 コホン。この時代の事を『孤独の時代』と言い換えてもいいだろう。

『他』趣味

 その昔、D&DやトラベラーなどのRPGが登場した事で、サークルをRPGに乗っ取られたウォーゲームのサークルが日本各地にあった。
 同様に、マジック・ザ・ギャザリングが大流行したために、RPGではなくカードゲームのサークルになってしまったという出来事もやはり日本各地であった。
 サークル単位とは限らない。
 ウルティマ・オンラインにはまってしまってRPGはおろか日常生活すらままならなくなってしまった人間もいる。
 他にも、いろいろなRPGを遊んでいるうちに、ついには遊ぶ事よりも収集する事が目的になってしまったコレクターとか、ルールをいじったり背景世界を作ったりしているうちにそっちの方が楽しくなってしまったデザイナーとか、RPGの『道』(日本人は何事にも道を究めるという美徳がある。問題はその道が人によってまちまちだということだがそれはさておいて)を踏み外してしまった人は多い。
 そもそも、RPGは万能で究極で最高の遊びであるからにして、RPGを遊んでいれば他の趣味などにうつつをぬかす余裕などないはずなのだが、人間とは弱い生き物である。
 つい読書とかスポーツとか音楽鑑賞といった道を外れた遊びに手を出してはまってしまい、RPGを忘れてしまうのである。なんとも嘆かわしい事である。
 道を見失ったということで、この時代を『没義道(もぎどう)の時代』と言う事にする。

 さてもさても。

 今は昔の物語である。


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